心證寺は寛文元年(1661年)、浅井七左衛門正貞が父、心證院の菩提を弔うため、守要院日慧上人を開山として創建した寺院です。
現在は一宮市の中心部近い大宮3丁目(旧杉戸町)にありますが、明治29年に当地に移転するまでは、同市大和町苅安賀に建てられていました。(現在、跡地は大和西小学校の校地や西尾張中央道の一部となっています。)
戦国時代、苅安賀には、織田家家臣である尾張浅井氏が築いた苅安賀城がありました。当山を創建した浅井七左衛門正貞は、苅安賀城主であった浅井田宮丸(長時)の子孫で、以来代々浅井家の菩提寺でした。
明治24年に美濃・尾張地方を襲った濃尾地震では、諸堂倒壊する被害を蒙りました。その後、再建に際して檀信徒の切望により、現在地へ移転する運びとなり、明治29年、移転再建がなされました。
太平洋戦争中の昭和20年7月、一宮大空襲により、当時の住職ご一家は境内の防空壕内で焼死され、本堂・朝師堂・庫裡・書院等の伽藍も全て焼失してしまいました。
昭和22年、終戦に伴い朝鮮における布教から帰国されていた常楽院日将上人を住職に迎え、昭和26年には檀信徒方の丹精により、現在の本堂が再建されました。
ご本尊は十界曼陀羅で、併せて守護神として鬼形鬼子母尊神、北辰妙見大菩薩をお祀りしています。
先代住職、法正院日秀上人は、高座説教による言説布教、九識霊断や悩み事相談などの活動に力を注いでおりましたが、平成18年3月13日に遷化し、現在は法嗣である市田弘之が住職を勤めております。